[政治]正義の戦争は存在しない

(2003/03/20 AM9:40脱稿、書き下ろし)

戦争ほど残酷なものはない。戦争ほど悲惨なものはない。

 池田大作創価学会名誉会長の『人間革命』第一巻冒頭の言葉である。ここに、この言葉を引用したのには訳がある。
 いま、まさにブッシュのアメリカは、適当な理由をつけてイラクを攻撃せんとしている。いや、イラクには攻撃されるにたるだけの理由があるではないか。そう思われる方は冷静に考えていただきたい。そもそも、なぜにブッシュはイラクを攻撃しようとしているのかを。

 あの忘れられない9.11。悲劇的な同時多発テロが発生した。その後、アメリカは対テロリストを旗印に戦争への道を進もうとしているのは明らかだった。ブッシュは、好戦的である。その背景には、キリスト教原理主義という宗教的要素がある。そして、ブッシュは標的をイラクに絞った。表向きは、大量破壊兵器を所持し、テロリストと手を組む可能性のあるフセインを倒し、アメリカ型民主主義を根付かせることにある。しかし、その大量破壊兵器の出所は何処なのか。アメリカではないのか。すると、アメリカは自分で兵器を与えておいて、いざとなったらそれを理由に戦争を起こすのか。自己矛盾である。しかし、神懸ったブッシュには冷静さはない。ただ、ただ、フセインを倒す。そのために戦争を起こす。自由の名の下に、「正義」の戦争を仕掛けるというのだ。しかし、戦争は起こしてしまったら正義はない。あるのは残酷で悲惨な結末だけだ。

 もうまもなくブッシュがつけた期限が切れ、戦争の幕が切って落とされようとしている。そして我が国は、そのアメリカを支持することを遅まきながら表明した。いや、実際には国連ではアメリカ支持を打ち出し、国内では世論に配慮してかギリギリまではっきりさせなかっただけだ。テレビで生中継されているのだからそんな姑息なことをするには愚の骨頂なのだが、人気を気にする小泉首相は、国民をだまくらかしていたのである。説明責任も果たせずに、戦争に荷担する。支持するということは、明らかに荷担だ。これは間違いない。

 歴史をひもとけばいい。誰が「侵略する」といって戦争を始めるのか。戦争を仕掛ける側は、適当な理由をつけるが、それぞれの「正義」を標榜している。日本の場合、「大東亜共栄圏」だったように。有史以前より、人が集まれば、争いは起きる。小さな喧嘩から始まり、だんだん大きくなって戦争へと発展するのだ。
 しかし人間は考える葦である。国と国とが争えばどんな悲惨なことが起きるのか、もう学習していてもいいころではないか。映画監督の大林宣彦氏は、二十世紀は戦争の世紀だったといい、新しい世紀は決してその轍を踏んではいけない、と語った。しかし、残念なことに「アメリカ」という秩序により、またぞろ「戦争」という禁断の果実をかじろうとしている。

 そこで日本である。
 日本には、「日本国憲法」という立派な規範が存在する。最近では、九条あたりを軸に改正しようとする動きが見られるようだが、私は絶対に変えていけない条文だと考えている。アメリカから与えられたものにせよ、この条文こそ、新世紀に向けての新たな指針となるはずなのだ。そして日本は、戦争を起こさない世の中にしていくために率先して行くべきなのだ。
 そして、公明党は元々、創価学会の有志から生まれた政党である。ならばなおのこと、戦争反対の強い意思でもって、動いて欲しかった。非常に残念である。あえて『人間革命』の冒頭を引用したのは、その皮肉だ。

 ここまで書いて、おそらく多くの反論が寄せられることだろう。それは百も承知である。時間の都合上、文章をまとめる時間も、詳細に書く時間もなかった。北朝鮮問題など、アメリカとの共同歩調をしていかねばならないことは多いのだ。そのことはまた別項で述べたい。いまはただ、戦争は残酷で悲惨なものであるということ、戦争には正義は存在しないことを述べて、とりあえずは筆をおきたい。


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